神様からの預かりもの

神様から人生の宝物を預かり中。ダウン症と自閉症を併せ持つ息子と心優しい娘の育児記です

転校活動その2

f:id:utamarinco:20200901163657j:image小学校に入学した時、慶は哺乳瓶のミルクでしか栄養も水分も摂取できませんでした。これは解決しなくてはいけない大変な問題でしたが、面倒を見る立場からすると食事を調理したり食べるのを介助する必要がなく、手間のかからない状態でした。

それが、リハビリ病院に入院してミキサー食を食べられるようになったので、私が毎日ミキサー食を作って給食の時間に持って行き、支援級の教室で食べさせるようになりました。これに慣れてくると、支援級の担任の先生から、お母さんも毎日大変だろうから、ミキサー食はレトルトの介護食にして、先生が食事の介助をしたい、合わせて当日の給食にシチューやゼリーなど慶が食べられそうなものがあったら、先生の判断で食べさせたいと申し出がありました。

これは、万が一事故があった場合のことを考えるととても悩ましい申し出でしたが、慶の食事に積極的に関わりたいという先生の強い意志を感じましたし、小学校の給食の時間というのが、短縮授業とか前の授業が延びたとかで日々変わるのがちょっとしんどいなと思っていたので、腹を括ってお任せすることにしました。

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こうなってくると、学校給食としてどこまでやってもらえるのか、一度ちゃんと確認した方が良いのではないかと思い、入学前の就学相談で給食について「自校給食なので融通がききますよ」と言った担当さんと面談をしました。今は哺乳瓶だけど、将来何か食べられるようになったら給食で対応してもらえるか?と聞いた時に「融通がきく」と言われたので、私は刻み食くらいならやってもらえるという意味に受け取ったのですが、この時の面談では、市としては給食に手を加えることは一切できないとの回答でした。うーん、融通とはなんだったのか?と問い詰めたい気持ちになりましたが

、この担当さんも市内の小学校の就学相談を一人でこなしていた方でしたし、当時は支援級か特別支援学校か悩んでいる親には強く支援級を勧めるというちょっと異様な風潮があったので、あの時はその場の勢いで言ってみちゃったのかなと思います。

刻み食でさえ食べられるようになるのに何年かかるかわからないのに、普通食を食べられない限り給食の提供を受けられないということは、6年生まで弁当持参になるかもしれないということです。担任の先生となら頑張れるかもしれませんが、先生が異動になってしまったら、その後どうなるか見当もつきません。

慶が教室から脱走した件も含めて、これはもう3年生の4月から特別支援学校に通えないとマズいと思い、急いで手続きを始めました。

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